たまにこのことについて考えることがあります。
私自身は、楽しいと思ったこともあるし、苦痛に感じたこともある。
基本的には自分の興味関心に沿って、気の向くまま進んでいく勉強は楽しかった。
特に大学は。
また、国語の、特に現代文は読み物として面白かったと思うし、点取りゲーム的な楽しさはあった。
4~5肢選択は論理パズル+ちょっぴり暗号解読的に、自分の意識が国語の読解をゲームにしていたんだと思う。
それに対して、社会は地理も歴史も、ましてや公民は中学時代、習った記憶のないレベルに嫌っていたし避けていた。
いやほんとに中学公民の当時の記憶がほぼ無いです。
ですが、大学受験は日本史選択でしたので、イヤイヤ言っても始まらず、仕方なく苦痛に感じながらもやった。
英語もそうです。英語がいちばん大学受験期は苦痛だったかも。
高校受験期は、そうは言っても中3の秋くらいからは模試の点が伸びるにつれて嬉しくなり、次はもっと次はもっとと、
点を上げるためにどこをどう攻略するか、なんて考えるようになった。
相変わらず勉強それ自体は、自主的にのめり込むようになった記憶はないです。中学高校で。
でも、勉強せざるを得ない環境では勉強に向き合うしかなく、時々関係ないことを考えつつも、自らドロップアウトすることなく授業には出席し続けた。
そして、テストは苦痛じゃなく、積極的ではありました。点取りゲームとして。
さて、自分語りが長くなりました。
ここまで何人が到達してくれましたか?(笑)
結局、中学高校の勉強それ自体には興味関心やら知的好奇心やらは刺激された記憶はないのですが
(つまり、べつに内容そのものはあまり楽しく感じなかったのですが)
でも、点数が伸びたときの手ごたえ感、ゲームを攻略してやった感は楽しかった。
問題を解けた爽快感とか満足感、このあたりは満たされていったように思う。
今日のタイトルは
そもそも勉強は楽しいのか問題
について明確な答えは、持論であってもまだ出ないです。
自分のなかで、もっともっと、練っていきたい問題です。